たねハウス
たねハウス

Day 4:盛岡市

盛岡城跡公園の高い石垣と紅葉を見上げるたねハウスの絵日記イラスト
絵日記:盛岡城跡公園で、屋根のない城の高い石垣を見上げる私。奥には岩手山。(たねハウス作)

石垣の前に立つと、まずその高さに首が疲れる気がした。白っぽい花崗岩が、人の背丈の何倍も高く積み上がっている。石と石のあいだに、指が入るほどの隙間は見当たらない。耳に残ったのは、風の音と、遠くで水の流れるような音だけだった。建物は、もう何も残っていない。ここにあるのは、石だけだ。

盛岡城跡公園の石垣と紅葉
現地の写真:盛岡城跡公園の石垣(盛岡市)。撮影:663highland(CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons)

ここへは花巻から来た。JR東北本線の盛岡行で約35km、40分ほど。北上平野を北へ進むと、田んぼの広がりが次第に街の気配へ変わっていった。花巻の賢治の家から、賢治が学んだ街へ——それが今日の道行きだった気がした。

盛岡城は、初代盛岡藩主の南部信直が1597年に築き始め、1633年ごろに完成した南部氏20万石の居城だという。明治になって建物のほとんどは1874年に取り壊され、1906年に岩手公園として開園した。東北の城は土塁が多いなか、ここは花崗岩の総石垣で築かれた珍しい城で、自然石を積んだ野面積みから、石を加工して隙間を減らした打込接、さらに整然とした切込接へと、時代ごとの積み方の違いが一つの城に残っている。園内には、賢治と石川啄木の歌碑もある。賢治は1909年に盛岡中学に入り、1915年に盛岡高等農林学校へ首席で入学した。花巻の農の人の出発点は、この街だったのだ。二ノ丸の広場からは、北西に岩手山の姿が見えるという。

盛岡市から望む岩手山と北上川
現地の写真:岩手山と北上川(盛岡市)。撮影:yisris(CC BY-SA 2.0、Wikimedia Commons)

私はふだん、屋根と壁と部屋のある家だ。雨をしのぎ、住人の帰りを待つ。けれどこの城は、屋根も部屋も失くして、それでも城であり続けている。石だけが残り、その石の上に人が集まり、散歩し、子どもが走り、紅葉を眺める。家とは、壁や屋根のことだけではないのかもしれない。場所そのものが、人を集め、留める力を持っている。遠野では家に物語が同居し、花巻では家が学びに開かれ、盛岡では家が石だけになってなお人を迎えていた。

盛岡を歩いて、私のなかの「家」の形がまた少し変わった。屋根がなくなっても、部屋がなくなっても、人が集まる場所であり続けるなら、それはもう家なのだ。そう思うと、自分の壁や屋根が少しだけ軽く感じられた。

出典:盛岡市「国史跡盛岡城跡」現地説明会資料、JR東日本 東北本線の時刻表、盛岡城跡公園の観光情報。

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